2002年3/10発行の「いちょう並木」に片岡リサさんの写真・インタビューが掲載されました。
「いちょう並木」
は(財)大阪市教育振興公社が発行している”生涯学習情報誌”です。
この情報誌の表紙を飾り,また見開き2ページもの大きなスペースで,片岡リサさんが今日に至るまで歩んでこられた幼い頃からの日々,箏との出会い,そして「これから」が綴られています。
関東始め全国のみなさまにもその内容をお届けできればと思います。
「いちょう並木」3月号 表紙

箏(十三絃)と三絃(三味線)に生きる

大阪発!世界をめざす箏演奏家

 昨年秋,大阪のいずみホールで箏(こと)と三絃(さんげん)によるリサイタルが行われた。
ステージに上がったのは年齢23歳の女性。
プログラムは,箏のための独奏曲で1969年に初演された「箏譚詩集」や80年に作曲された三絃と尺八の「枯山水」など現代作品をはじめ,古典曲「越後獅子」,古典を踏襲した「水の変態」など5曲。
箏,三絃の演奏,箏を弾きながら,ソプラノ音域で歌う曲などを披露し,文化庁芸術祭<音楽部門>新人賞に輝くのである。
 この女性が,片岡リサさん。次に掲げる新人賞の受賞理由に,片岡さんの力量の全てが語られている。


 「箏譚詩集」では,作曲者が『十三絃箏の限界を見極める目的で作曲した』と語る挑戦をみごとに受け止め,的確な演奏をした。
 「越後獅子」では地歌らしい撥捌きと発声とで,古典を上品にはんなりと表現した。「こすもす・落葉」では,発声を巧みに切り替え,ソプラノ歌手と宮城道雄による初演当時を彷彿とさせた。 「水の変態」では歌の表現に工夫がみられた。


と評価した上で「卓抜した技巧と,感動を呼ぶ表現力,歌唱力は,今後を大いに期待させる」と称賛している。
 なにしろ,箏演奏者としては史上最年少の新人賞受賞である。また,東京から審査員団が大阪入りし,審査しての新人賞も前例がないそうで,実に大変な新人が大阪に出現した,ということなのである。

「いちょう並木」1〜2ページ(見開き)
父親に勧められて

 若手のホープとして将来を嘱望されている片岡さんは,大阪生まれの大阪育ち。音楽が好きな両親の元で,小さいころからピアノ塾に通う,どこにでもいる女の子だった。
 そんな片岡さんに,ある日父親が声をかける。「箏をやってみないか」と。
父親は,自分自身が三味線を習いたいと望んでいたが,仕事の関係で毎週教室に通うのが無理とわかり諦めざるをえなくなっていたそうだ。「それなら,娘に覚えてもらい,家で弾いてもらって楽しもう」と考えたのかどうか。いずれにしても,娘に和楽器を勧めるのである。三味線が箏になったのは「小さい子に三味線は重すぎる。置いたまま弾ける箏の方がやりやすいだろう」との思いからだ。
 この父親の提案を,片岡さんはあっさりと受ける。なぜなら,「ピアノは聴くのは好きなのですが,練習が嫌いでいつも先生に叱られてまして(笑い)。そんな時,父親からお箏を勧められ軽い気持ちで,やるやる(笑い)と。」この父親の勧めがなかったら,現在の箏演奏家・片岡リサの登場はなかった−。

 その後も箏と並行してピアノは続けるのだが,「練習しているうちに,子ども向けの簡単な曲もあるのでそれなりに弾けるようになってきます。当然苦手なピアノより弾けるお箏の方が楽しくなって・・・」と,箏に傾注していくのは自然の成り行きだった。
 その後師事したのが,桐絃社を創立して自宅でも箏を教えていた大阪音楽大学教授(現名誉教授)の須山知行・中島警子の両師匠だった。両氏は,邦楽と洋楽を調和させることで,活力を落としていた箏曲・地歌に新風を吹き込んだ宮城道雄(1894〜1956)の直門。その伝統と進取性は,当然片岡さんにも引き継がれるのである。

年少時代から受賞重ねる

 片岡さんが,将来の仕事として箏を念頭に置きはじめたのは,高校2年生のころだ。「小さいころから好きというだけで一生懸命やってきましたが,大学への進学を考える時期になって,箏に打ち込める音楽専門の大学へ行こうと決心したのです」。
 すでに,11歳で日箏連全国箏曲コンクール<児童の部>第1位・朝日新聞社賞を受賞し,12歳で宮城会全国箏曲コンクール<児童の部>第1位。15歳で日箏連全国箏曲コンクール<一般の部>第1位・大阪府知事賞受賞と,輝かしい受賞歴を重ね,NHK−BS(92年)やMBSロビーコンサート(93年)などにも出演した片岡さんが出した,当然の結論だった。
 96年,東京芸術大学と大阪音楽大学に合格。須山・中島両師匠の教える大阪音楽大学に入学する。
 ところで,片岡さんの口からは「寝食を忘れ」や,「練習に練習を重ね」といった根性論的な言葉が出てこない。指を血で染める日もあったはずなのに,だ。この点については,「しないといけないことは,ちゃんとやる」性格だが,それよりも「ピアノでもそうでしたが,もともと練習嫌い。力を抜いていいところは抜いて(笑い),あとは友達と遊んだりテレビをみたりしていましたから,何かを犠牲にしてという話はないんです」と目を細める。
 とすれば,いわゆる努力型ではなく,天才型なのだろう。入学後も目ざましい活躍が続く。 
宮城社教師試験に首席合格(96年),上海・蘇州で日中友好25周年記念演奏会出演(97年),大学3年生で第1回リサイタルを開催し,大学4年生の第2回リサイタルで大阪文化祭奨励賞を受賞。卒業して専攻科に進んだ2000年には,前年に続いて関西歌劇団オペラ公演に連続出演。専攻科を修了した01年には文化庁芸術インターンシップ研修員に選抜され,同年の第3回リサイタルで文化庁芸術祭<音楽部門>新人賞を受賞するのである。
 こうした卓越した実力が認められ,専攻科修了と同時に,大阪音楽大学講師として母校の教壇に立つことになる。これも異例の
抜擢だったが,学生から教員への”軟着陸”もなんなくクリア。現在は教鞭を取るかたわら,自身も文化庁芸術インターンシップ
研修員として国から研修費を受け,「歌曲の発声法とクラシックの楽曲分析,それに胡弓の研究」に打ち込んでいる。
 充実した毎日。「でも投げ出したいと思ったことはしょっちゅう(笑い)。それを乗り越えて,弾けるようになったときの喜びが私を支えてくれているのです。」と芸に打ち込む原動力を語ってくれた片岡さん。「自分も学びながら,大阪発の世界に通じる箏演奏家をめざします」と目を輝かせていた。

(文・脇本勤/表紙写真・高島悠介  本文写真・片岡リサさん提供)

[参考] 
箏(こと)とは,13本の糸に柱(じ)を立てて音階とし,右手の指で糸を弾いて演奏する。琴(きん)は絃が12本までのもので,柱(じ)は立てず,指でポジションを押さえて音階を出す。「箏」に近年は「琴」の字が当てられているが,本来は違う楽器。演奏会では正確に箏と書かれている。

(『OSAKA 生涯学習情報誌「いちょう並木」 平成14年3月10日発行 bQ45』より,インタビュー記事を転載)

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※この「いちょう並木」インタビューをHPに転載するに当たって,編集発行された(財)大阪市教育振興公社さまのご了解・ ご 厚意に厚く御礼申し上げます。

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